跡部の悩みと宍戸の災難

…はぁ。

室内に落ちるため息は先ほどから幾度も繰り返されていた。ひとつついて、時間を置いてまたひとつ。
いくらため息をこぼしても周囲の人間は誰も気にかける事は無い。
何故ならばため息をついている人物は儚いものとは程遠く、常に尊大な態度で君臨している絶対王。
何かに悩んでいるような弱々しい様を気にならないといえば嘘になるのだが、関われば面倒になる事は経験上わかっていた。この3年間でそれはもう嫌というほどに。
その為に無視していた……が、どうやら限界がきたようだ。

「さっきからうるせーな。何なんだよ。」

しびれを切らしたのは宍戸だ。この空気に堪り兼ねた彼はとうとう原因--跡部に抗議をした。
堪り兼ねた、と言っても跡部を心配してのことではない。ただため息をはかれアピールされているようでうざったい、それだけだ。
跡部はというと視線だけちらりと向け、戻すとまたひとつため息をついた。
甚だ失礼な態度に、宍戸のこめかみにはピキリと青筋が浮かぶ。
「……オイ、なに人のツラみてため息ついてんだコラ。」
「お前なんで男に生まれたんだ。」
「……はあ?頭湧いたか?」
質問には答えずまた顔を見てため息ひとつ。とうとう宍戸の堪忍袋の緒がキレた。
「だっからうっぜえんだよ!ため息つくな!!!」
「宍戸落ち着いて。」
「ウス。」
今にも跡部に掴みかからんと息巻く宍戸をジローと樺地がなだめる。
跡部は彼らの様子をチロリと見ると、頬杖をついて今度は大げさに残念がって見せた。
「まったく何でお前は女じゃないんだかな。せっかく俺様好みの性格してるのに…。お前が女に生まれていたなら俺様のものにしているところだが。」
『俺様のものにしている』という発言に宍戸は身を震わせた。勘弁してくれ。
「俺はいま俺を男に生んでくれた両親に心の底から感謝してる。……てか、いきなりキショイ事いってんじゃねーよ!ばか野郎!!!」
「本当に残念だ。」
「話聞けよ!」

まったく噛み合ない二人の会話。
宍戸は怒鳴り、跡部は何やら考えてる様子。宍戸の怒鳴り声も質問も無視して顔を見てはため息をついている。このままではずっと解決しないだろう。
「跡部さー、もしかしてなんかあったのー?」
埒が明かないのでジローは答えを知りつつも問いかけた。
こちらが腹がたつほどに俺様王様なこの男がため息をつくなど天地がひっくりかえるほどにありえない出来事。
なのにため息をついている。それだけで「何か起こりました」と言ってるようなものだ。
彼の口から出た答えは予想通りで、両手を机の上で組み顎を軽くのせるとまっすぐと3人を見据えた。
「ああ。てめえらに話したところで仕方がねえことだが、ちっと面倒になってな…。」
「悩みがあんなら聞いてやるから言えよ。」
「そうそう、話せばスッキリするしさ♪」
宍戸とジローは少しばかり神妙な様子の彼に明るく話しかける。跡部の悩みなど滅多にきけるものではない。
本人には悪いが珍しい状況に2人の心は躍っていた。
宍戸も先ほどまでの険悪な表情は一転、早く聞きたいと顔に書いてある。なんとも都合の良い事だ。
だが彼の言葉はワクワク感を軽く吹き飛ばすものだった。

「今度見合いをすることになった。」

しーん…。
今の室内の様子を一言で表すならこの言葉以上のものはみつからない。
見合いなどという中学生には耳慣れない言葉に、宍戸とジローは目を大きくあけて固まった。
先に持ち直したのはジローである。

「…見合い?」
「ああ。」
「誰が?」
「俺に決まっているだろう。話の流れでわかれ。バカ。」

途端、ジローと宍戸は互いに顔を見合わせ吹き出した。 静かだった室内に2人の笑い声が響き渡る。
「あっ、跡部がお見合い~!!?」
「マジマジ!?うわっ相手どんな人?可愛い!!?」
2人は腹を抱えて笑いつつも次々に質問を繰り出す。
跡部はこうなることをわかってた様にため息をつくと肘をついていた右手で顔を覆った。
「やはり話すだけ無駄だった」と、悩みを打ち明けてしまったことを後悔したその時、ジローが笑いすぎて零れた涙を拭いながら言った。
「ほんと残念だね。宍戸が女の子だったら見合いしなくて良かったのに。」
「あ?何でだよ。」
何故そこで自分が出るのか。宍戸もやはり笑いつつ聞き返した。
「だってさー、跡部にとって宍戸ってモロ好みのタイプなんでしょ?宍戸はけっこー美人だし。女の子だったら絶対跡部の彼女になってるよー。」
「勝手に決めんなよ。」

ガタンッ!!

突如跡部が机を思いっきり叩いて立ち上がった。

「それだ!!!」

「「はい??」」

事情を飲み込めない2人は無視して気心しれた幼馴染みにアイコンタクトを送る。
彼は正確に意を組んだようで「アイアイサー!」と軍隊宜しく敬礼し素早く部屋を出て行った。
一体どうしたのか。状況がさっぱりわからない2人は跡部に訊ねたが跡部はまるで2人のことなど眼中にないようで一人高笑いしている。

「ハーッハッハッハッハッ!!俺様としたことがこんな簡単なことにも気付かないとはな!!」

「……ねえ、宍戸?俺なんか変な事ゆった?」
「言ったには言ったけど。…でもお前の言葉より今のアイツのほうが100倍変だ。」
2人は互いに身を寄せ合い、未だ高笑いを続ける跡部を異様なものを見る目で眺めていた…。

樺地はほどなくして戻ってきた。中身いっぱいに詰められた紙袋を両手に携えて。
袋を跡部の側に置いて丁寧に扉を閉めた。
跡部は紙袋をチラリと見て満足げにうなずくと扉に立つ樺地に目配せをした。
樺地は跡部にしっかりとうなずき、彼の言わんとすることを実行するべく動いた。

「ウス。…宍戸さん、失礼します。」
「は?俺?…ってうわっ!」
言うなり樺地の両腕が宍戸の肩の下に回され、宍戸は完全に捉えられた。
腕を振っても身体を捻ってもビクともしない。
宍戸はよくわからないままに拘束されるという事態へ若干の恐怖を感じて顔をヒクつかせた。
「えっ?何?何?跡部どーいうこと?」
だが跡部は答えない。
宍戸の質問は無視して傍に居るジローに命令した。

「ジロー、宍戸の服を脱がせ。」
「えっ?」
「は!!?」
「とっととやれ。」
「えーっと………。」
「ふざけんなテメー!一体何なんだよ!!」

宍戸の叫びもジローの戸惑いももっともである。跡部は何の説明もしていないのだから。

跡部はチッと舌打ちすると説明するべくゆっくりと話しだした。

「俺様は見合いをすることになった。」
「それはさっきも聞いたっつの。それがなんで俺の服を脱がすことになんだよ!」
「それを今話してるだろう。黙って聞け!
…見合いをすることになったのは俺様に決まった女がいないからだ。」

ここまで話したところでジローはピンときたらしく「あ!」と声をあげた。
逆に宍戸は跡部の言葉が理解できないようで険しい顔をしている。
跡部は2人の様子を確認すると続きを語りだした。

「つまり俺様に女がいるとなれば両親も無理して俺の見合いを組もう等とは考えねえ。…少なくとも今はな。」
「ふーん。なんか知んねーけどお前も苦労してんだな。」
「…ああ。だから宍戸、俺を助けてくれないか?」
「お前が助けを求めるなんてなんか気持ちわりー。……でもまあ俺に出来ることなら…。」
「なら服を脱げ。」
「だから何でそうなんだよ!!!」

「つまりさ、宍戸に跡部の彼女になれってことだよ。」
「ジロー賢いじゃねーの。簡単に言うならそういうことだ。」

「……………はい?」

思わず間の抜けた声が出てしまった。口を開けたまま固まった宍戸の顔もまた先ほどの声に負けず劣らずなかなかのマヌケ面である。
自分の言葉が宍戸をそんな顔にさせているという自覚など微塵もない跡部は単純に宍戸が自分の言葉を理解できていないのだと考えて眉を潜めた。

「頭が悪りーな。何も本当に彼女になれってワケじゃねえ。振りをしろって言ってんだ。親に女がいると思わせればいいだけだからな。」
「ほら、女装道具はバッチリ!カツラもあるよ。」

先ほど樺地が持ってきた紙袋を宍戸が見られるように広げると、 中にはピンク色のヒラヒラした布やら、茶色や金色の長髪のカツラが詰め込まれていた。

「…え?ちょ、おい……まさか、それを俺に………?」
「宍戸は美人だからきっと似合うよ。」

ジローは袋を抱えながら楽楽しそうに宍戸に近づく。

「あの…ジロー?お前まさか……。」
「ごめんね宍戸。でも跡部困ってるみたいだC~。困ってる人は助けろって宍戸いっつも言ってるもんね?」
「ああ、ジロー。オレ様は非常に困っている。」
「嘘付け跡部テメー!思いっきり笑ってんじゃねーか!!!」

「宍戸、3対1で勝てると思う?」

ジローの言葉で跡部とジローはじりじりと宍戸との距離を詰める。
口の端をあげて笑いながらゆっくり近づく様は完全に悪人のようだ。
宍戸の背中に冷たい汗が流れた。

「うっ…。おっ、お前らなんか馬に蹴られて死んじまえ~~~~~っ!!!」

20分後---抵抗むなしく悪魔の手によって見事に変身させられた宍戸の姿があった。
跡部は満足げにうなずき、ジローは嬉しそうにはしゃいでいる。

「おー!宍戸超びじーん!その辺の子よりずっとカワE~♪」
「やはり俺様の目に狂いはなかった。」
「綺麗…です。」
「……嬉しくねーよ。」

「よし。後は親に報告を…。」

跡部が携帯電話を取り出そうとしたその時、軽快なコール音が響いた。
画面を確認すれば発信元はちょうど電話をかけようと思っていた相手。
噂をすればなんとやら、である。すぐさま電話をとった。

「はい。…ええ、もちろん…………は?………はい、わかりました。」

初めは普通に話していた跡部だったが途中驚いたかと思うと声のトーンがみるみる低くなっていった。
通話を終えたようだが携帯を持ったまま微動だにしない。
うなだれているように見えるのは気のせいだろうか。
宍戸は一抹の不安を感じでおそるおそる声をかけた。
「お、おい、跡部?どうしたんだよ…。」
「…。」
跡部はゆっくりと振り向いた。
心無しか表情が暗い。
「…なくなった。」
「え?」
呟きがききとれず宍戸が聞き返すと跡部は今度はゆっくりはっきりと言葉を紡いだ。

「見合いがなくなった。」

誰もが言葉を失った。

見合いのせいで思い悩んでいた跡部。
確かに見合いはなくなれば良いと思っていた。
だからこの結果は望ましい事ではある。
…が、もうすこし早く、せめて宍戸を女装させる前に電話が鳴っていれば無駄手間かけずに済んだのに。
暴れる彼を押さえつけて服を着替えさせるのは随分と苦労したのに。
彼に蹴られて痛む腕をさすりつつ跡部はため息をついた。

そんな痛みやため息どころの話ではないのが、当の宍戸である。
何せ彼は女装させられるという、男にとっては屈辱的な事をされたのだ。
それが全くの無駄になったと告げられれば、当然、黙っていられるはずもなく。

「…ってことはアレか?俺がこんな格好させられた意味は無かったと言う事か…?」
「…。」
「オイ、なに目ぇ逸らしてんだ?跡部?」
「…フッ、女装によってあらたな境地が見えたじゃねーか。」
「開き直ってんじゃねー!」
「宍戸ー。」
「あぁ?」
「かわE~。」
「……もうやだ。」

怒りと羞恥とジローの気の抜けた声で一気に疲れが出てきて宍戸はがっくりとヒザをついた。
そんな宍戸を気にかけてくれるのは樺地だけ。不憫な男。それが宍戸亮という人間なのだ。
跡部はどうやら吹っ切れたようだ。切り替えが早い男。それが跡部景吾だ。
今はジローと共に笑い合っている。

「まあ跡部のお見合いはなくなったC~、宍戸は可愛くなったC~。Eじゃん。」
「そうだな。準備が無駄になったことは惜しいが…。少なくとも次回以降は宍戸を使えるとわかっただけでも収穫か。」

「次回」と聞いて宍戸はガバッと顔をあげた。
彼にとっては女装など二度とごめん被りたいのだ。ビシッと跡部を指差し、しっかりと反論する。
「ぜってーてめえになんか協力しねえからな!!!」
「あーん?困ってる人は助けるんじゃなかったのか?」
跡部がニヤリと宍戸の心情を述べたら宍戸はちゃぶ台をひっくり返しそうな勢いで腕をあげた。
「お前言う程困ってねーだろ!ぜってーそうだろ!!あのため息だってわざとだろ!ぜってーそうだろ!!」
「いや、あの時は本気で困ってたんだぜ?だから次に見合い話きたらその格好で協力しろよ?」
「知るか!勝手に結婚でも何でもしろよ!!!」

宍戸は固く誓った。この男が今後困っていようと絶対に手は貸さない、と。
それも数分後、自分の行動に寄って脆くも崩れ去ることになるわけだが…。
この時の宍戸はそれはそれは本気で決意したのであった。

*おまけ

「そもそも見合いくらいでなにため息ついてんだよ。お前でも見合い怖ぇーの?」
「…。」

宍戸がニヤついてからかうと跡部は自分の手帳を取り出し、宍戸へ渡した。
跡部のスケジュール帳だというその手帳にはびっしりと予定が書き込まれており、毎週日曜日だけは時間と場所がいくつも書き込まれていた。

「…毎週日曜は見合いだとよ。」
「えっ…。つーか1日でたくさん時間と場所が書いてあんだけどまさかこれ全部見合い……?」
「1日に4~5人ずつ…。」
「う…うわあ……。次に見合い話きたら手伝ってやるよ…。」